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2021年7月26日(月)
《ぴあ×チャンネルNECO》強力コラボ 【やっぱりNECOが好き!】 第118弾~第127弾
ぴあ×チャンネルNECO強力コラボ連載第127弾!!
ラーメンの裏に隠された真実を、刑事目線でねちっこく徹底追求!
「対麺!」というパワーワードが鮮烈だった「ラーメン刑事」の続編が開幕。美味いラーメンの裏に隠された真実を、刑事目線でねちっこく(←ここがキモ)徹底追求する飯テロ系ドラマのニューウェーブだ。
オリジナル脚本ではあるが、津田寛治扮(ふん)するラーメン大好き刑事・本郷台にはモデルがいる。元神奈川県警の刑事で、現在は犯罪ジャーナリストとしてワイドショーなどさまざまなメディアに登場している小川泰平だ。この小川こそが知る人ぞ知るラーメン刑事。年間数百杯をたいらげる筋金入りの“ラヲタ”であり、「泰平のラーメン刑事」(静岡朝日放送)なる冠番組を持っていたほどである。この小川が全面監修していることが本作の重要ポイント。細かな刑事あるあるやせりふに飛び交う専門用語はリアリティ100%。導入部分のドラマパートは津田をはじめとした役者陣の好演もあり、本格的な刑事ドラマと遜色のない仕上がりである。
店選びに失敗したくないという思いが強いデジタル世代は、とかくネットの口コミに頼りがち。だが、本郷台は外観から得られる情報だけでピンときた店に入ることを信条としている。心の中で「頼もう!」と叫びながら店の扉を開けた瞬間から、一分の隙も許されぬ真剣勝負が開幕する。厨房を注視するためにテーブル席は避けて必ずカウンターに座る。メニューを吟味した後に卓上のトッピングを精査。注文後は茹で時間をストップウォッチで計測し、加水率を把握する。着丼後はスープ・麺・具材と順番に味わいながら、そのうまさの秘密を見つけ出すために知識と経験をフル回転させる。
しかし店側だってそんなに簡単に尻尾を出さない。例えば独特の甘みを持つチャーシュー。果たして、味の決め手に使っているスパイスはなんなのか? どれだけ考えても答えが出ないとき、本郷台はおもむろに警察手帳を取り出し、店員に聞き込みを敢行するのだ。ちなみに劇中で本郷台が訪れるのは、すべて実在の店。9月の放送分では関東圏ではおなじみの中華食堂チェーン店・日高屋と、湯河原の名店・飯田商店が登場する。
筆者は今回撮影現場にもお邪魔させてもらったが、俳優・津田寛治のストイックさにドギモを抜かれてしまった。もともと食の細い津田は胃を空っぽにした状態で臨み、演出ではなく心の底から「うまい!」と感じた際の表情をカメラの前で披露することにこだわっていたのだ。狭い実店舗での撮影では、自分が今どのように映っているのかを正確に把握し、時にはカメラ位置の修正を指示することもしばしば。
今秋公開予定の主演作「ONODA」が、カンヌ国際映画祭のある視点部門オープニング作品に選ばれるなど世界的な評価を受けるベテラン俳優は、ラーメンが主役の飯テロ系ドラマに対しても決して手を抜くことはない。その事実を目の当たりにして胸が熱くなった。ラーメンに対して真っ向勝負を挑む本郷台というキャラクターに、これ以上の適任者はいないだろう。
たかがラーメン、されどラーメン。
もちろん我々は本郷台のように眉間にしわを寄せながら店内を凝視したり、原材料を推理しながらラーメンをすする必要はない。だが、これだけは言っておこう。「ラーメン刑事」を通して、ラーメンの楽しみ方のバリエーションが増えることだけは間違いない!
2021.6.24
ぴあ×チャンネルNECO強力コラボ連載第126弾!!
石原裕次郎とスター・プロが果敢に挑んだ、新たな時代劇
軽快なフットワークと、長身を生かしたダイナミックな殴り合い。そんな現代アクションを武器にした、“タフガイ”の愛称で呼ばれたスター、石原裕次郎。今年でデビュー65周年を迎える彼が、拳を刀に代えて本格時代劇に初挑戦した「城取り」(’65)を、命日のある7月に放送する。
これ以前に彼は、「幕末太陽傳」(’57)で高杉晋作を演じたことがあるが、その時は現代の青年が鬘(かつら)をつけたようなキャラクターで、出演シーンも少しだけ。「城取り」は彼が社長を務めた石原プロ製作の時代劇大作で、プロデューサーでもある裕次郎の並々ならぬ意欲がうかがえる。
物語は伊達政宗が築いた山城を、裕次郎演じる車藤三が、友人の武士、巫女、元忍者、おしろい売りというユニークな仲間と奪い取ろうとするもの。原作は裕次郎の求めに応じて司馬遼太郎が書き下ろした「城をとる話」で、新聞の連載小説だったが、脚本を作っている時には原作がまだできていなかった。そこで監督の舛田利雄と共同で脚本を書いた池田一朗が、オリジナルでキャラクターと物語の展開を創造。司馬は佐竹家の家臣・車丹波をモデルに車藤三(原作では車藤佐)を作り上げたらしいが、池田は傾奇者として知られた前田慶次郎をイメージして主人公を書いている。後に池田は隆慶一郎の名前で時代小説家としてデビューし、前田慶次郎を主役にした代表作「一夢庵風流記」を発表した。これが原哲夫によって「花の慶次 雲のかなたに」として漫画化され、前田慶次郎の名前は一般にも知れ渡るようになったが、その前田慶次郎の原点がこの車藤三には見られる。長刀を2本背負った意表を突く見た目や、何者にもこびない豪快で自由な人間性に、前田慶次郎に通じる雰囲気が出ている。
「城取り」は日活で配給されたが、フリーの千秋実や中村玉緒、喜劇役者の芦屋雁之助、当時新人の舞台俳優だった石立鉄男ら、車藤三の仲間には日活以外の俳優を起用している。
さらに山城を守る敵方の大将・赤座刑部を演じたのは、東映の近衛十四郎。この人が最後に控えているだけで、山城は奪えないという圧倒的な存在感がある。近衛は刀を振るうスピードの速さ、太刀さばきの鋭さで当時随一を誇るチャンバラ俳優で、ここでも1人で槍の訓練をする場面に彼のすごさが見て取れる。
では裕次郎は“ザ・時代劇”とも言える近衛にどう対抗したのか。監督は裕次郎と24本コンビを組んだ舛田利雄で、この人は現代アクションが得意だった。後に「江戸城大乱」(‘91)などの時代劇大作も作っているが、この頃は時代劇に関してほぼ素人。例えば人を斬るシーンでも斬った瞬間を見せず、カットを割って斬られた人間のリアクションを見せていく、現代アクションのカット割りを多用した。正直言って時代劇的に見れば “分かっちゃいないなあ”という部分がある。
ただ、逆に舛田監督と裕次郎は、現代アクションのテンポのいいカット割りと、武器よりも体のフットワークを生かしたスピーディーな動きで、どこまで新しい時代劇が作れるかにチャレンジしている。その狙いが出ているのが、裕次郎と近衛の最終決戦。相手との間合いを図って刀を構える近衛に対し、休まず彼の周りを走り回って間合いをつかませない裕次郎の動きは、奇策ではあるが、アイデアとしては面白い。城取りを巡る裕次郎と近衛の駆け引き、演技者として絶頂期にあった中村玉緒の美貌も含め、見どころ満載の映画になっているのだ。
もう1本の裕次郎の出演作は、勝新太郎が共演した「人斬り」(’69)だ。60年代、各映画会社のスターたちは、イメージを固定した会社のお仕着せ企画に嫌気が差し、自らプロダクションを興して斬新な企画を成立させた。’62年の三船敏郎を皮切りに、‘63年には裕次郎、’67年に勝新太郎、‘68年に中村錦之助(後の萬屋錦之介)がプロダクションを設立。俗に「スター・プロ」と呼ばれた彼らのプロダクションは70年代半ばまで、日本映画界をけん引するヒット映画を連発していった。
その代表作は石原プロと三船プロの共同製作で大ヒットした「黒部の太陽」(’68)だが、時代劇でも彼ら「スター・プロ」の4人は連携し、大作を作り上げていった。主なものを挙げても三船プロの「風林火山」(’69)で三船、裕次郎、錦之助が競演したほか、勝プロの「座頭市と用心棒」(’70)には勝と三船が、中村プロの「幕末」(’70)には錦之助と三船が、三船プロの「待ち伏せ」(’70)には三船、裕次郎、勝、錦之助が出演している。
五社英雄監督による「人斬り」もそんな時代に生まれた勝プロとフジテレビの共同製作作品で、主演はもちろん勝新太郎。司馬遼太郎の短編小説「人斬り以蔵」をもとに橋本忍が大胆にアレンジして脚本を書き、勝は幕末の京都で暴れまわった土佐の暗殺者・岡田以蔵を演じている。主要人物は4人で、以蔵を暗殺者として飼い犬のように使いこなす冷酷な土佐勤皇党リーダー・武市半平太に仲代達矢、以蔵の幼なじみで以蔵に人斬りをやめさせようとする友人・坂本竜馬に裕次郎、そして京都で以蔵と人斬りの腕を争う、薩摩の“人斬り新兵衛”こと田中新兵衛を三島由紀夫が演じた。
三島は’60年に増村保造監督の「からっ風野郎」に主演し、その後は監督、主演を兼ねた「憂国」(’66)も発表するなど、映画との関わりが深い。この映画では劇中に新兵衛の切腹シーンがあることから、やはり三島が切腹する「憂国」を見た五社監督が彼の起用を思い立ち、勝も三島に出演交渉をした。実際、映画の中で綾小路卿暗殺の疑いをかけられて新兵衛が切腹して果てるところは気迫がこもった見事なシーンで、この映画の翌年、実際に三島が切腹したことを思うと、彼の死に対する美学が表現されているとも感じられる。
映画は武市に使い捨てられていく以蔵の悲哀に、企業の論理に個人の自由が奪われていくサラリーマンの姿が重なり、大ヒットした。そんなテーマ性を抜きにしても、勝新太郎がとにかく魅力的。人を斬ることで、身分が低く無学な自分の存在を認めてもらおうとする男の無邪気さが、暗殺シーンになると狂犬のような怖さに変わる、勝の多彩な演技が素晴らしい。血のりの多さも含めてリアリティを追求した五社監督の映像設計と、それをかなえた勝のダイナミックな立ち回りは迫力満点だ。
その彼を日陰の存在から救おうと手を差し伸べる、裕次郎演じる竜馬の人間的な温かさも印象的。私生活でも“兄弟”と呼び合う仲であり、その後もTVの「座頭市」シリーズに裕次郎が、TV「西部警察」シリーズに勝がゲスト出演するなど交流を深めていった2人の絆が、ここでの以蔵と竜馬の関係に重なって味わい深い。そんな二大スターの夢の共演もじっくり堪能してほしい、時代劇映画史に残る逸品だ。
2021.5.25
ぴあ×チャンネルNECO強力コラボ連載第125弾!!
あまりに怖くて、笑える!? SNSから火がついた話題のサイコスリラー
’19年の地上波放送時には、関連ワードがTwitterのトレンドに上がるなどSNSで反響を呼び、じわじわと浸透していった高岡早紀主演によるサイコスリラー「リカ」。連ドラ終了後、’21年春にリカの幼少期を描いたシリーズ原作ドラマ「リカ~リバース~」が放送、今年の6月18日(金)には映画「リカ~自称28歳の純愛モンスター~」が公開されるヒットシリーズとなった。
愛する人に身をささげたいと願うリカ・自称28歳。とある病院の看護師採用面接に現れたリカの不穏な雰囲気に、面接官を務める医師と看護師は、なんとなく違和感を覚える。 「雨宮リカ、28歳です」と自己紹介するリカ。「いやいや、美人だけど28歳じゃないだろ」という心の声が顔に出てしまう医師と看護師の中で、副院長の昌史(小池徹平)だけがリカの看護師としての経歴を買って、採用を決める。そんな人の好さが悲劇を招くのだった…。
リカは、邪魔するものに容赦ない。最初にリカに不審を抱いたのは、看護師長の小山内(池谷のぶえ)だった。自分を昌史から遠ざけようとする小山内の行動にいら立ち、「チッ」と舌打ちするリカ。そんな中、リカは、普段行き来する階段の手すりが壊れていることを聞きつける。その後まもなく、小山内が階段から転落して植物状態になるという事故が発生。さらに、リカは病院内の人間関係に目を光らせ、人の弱みを見つけて利用していく…。
ヒットの要因は、視聴者が何か言いたくなるポイントの多さ。標本瓶に漬け込まれた真っ赤なバラ、リカがいつも食べているミートソースは血の色で、映し出されるものが不穏なのだ。冒頭から、何も起こってないのに、ぞわぞわする。極めつけは、リカを演じる高岡早紀の存在感。高岡自身が持つ魔性の美と、リカの魔性がシンクロする。笑っているのに、目の光が不気味。しかも、全然まばたきしてない! 怖い怖い怖い! ツッコミを入れずにはいられない。あまりにも突き抜けているためか、怖さを通り越して笑えてくるから不思議だ。その面白さを視聴者がSNSでつぶやき、広がっていった。
また、高岡の怪演を受けるキャスト陣の力も見逃せない。2部構成となる連ドラでは、第1部で小池徹平が善良すぎて悲惨な末路をたどる昌史の悲しさを体現。第2部で、リカの次なるターゲットとなる映画プロデューサー・隆雄に大谷亮平が扮(ふん)し、追い詰められる男の恐怖を熱演している。
本作は、東海テレビ制作「オトナの土ドラ」枠で’19年秋に放送。このドラマ枠は、数々の話題作を世に送り出している。’20年冬クールの池脇千鶴主演「その女、ジルバ」がギャラクシー賞テレビ部門月間賞を受賞し、現在は大地真央主演「最高のオバハン 中島ハルコ」が放送中。
東海テレビは、昼の帯ドラマを長く制作してきた局であり、「真珠夫人」「牡丹と薔薇」といった名作は、ドラマ史に刻まれた。お家芸とも言えるドロドロ愛憎劇のエッセンスが「リカ」にも生かされている。熟練の制作陣によって、信頼できる確かな作品が生み出されるのだ。
ホラーとして怖がるもよし、ツッコミを入れて楽しむもよし。連ドラから映画まで、「リカ」シリーズは、あらゆる楽しみ方ができる極上のエンターテインメントなのだ。
2021.4.26
ぴあ×チャンネルNECO強力コラボ連載第124弾!!
青空が映し出す、ティーンエイジャーの真っすぐで素直な心。
筒井康隆の小説が書籍として刊行されたのが’67年。大林宣彦監督・原田知世主演の実写映画の公開が’83年。TVドラマ化も多々ある「時をかける少女」が、細田守監督によってアニメーション映画となったのは’06年のことだった。
細田版「時をかける少女」の主人公は、紺野真琴(こんのまこと)。オリジナルの主人公・芳山和子(よしやまかずこ)の姪であり、東京の下町の高校に通う17歳だ。かつての芳山和子と同じように、とある偶然からタイムリープの能力を得た真琴は、それを使っていく中で、親友の1人が未来からやって来た存在であることに気付いていく。
SF色が強い筒井の原作小説、切ない恋を描いた大林の実写映画を踏まえて、「青春」の要素を色濃くしたのが細田版だ。真琴がタイムリープできる回数には限界があり、残り回数を示す数字が腕に浮かび上がるというのは、細田版にしかない設定。何度も同じ時間を繰り返すような青春のモラトリアムが、いつか突然の終わりを迎える(つまり、大人になる)ことが示唆されている。
青春のまっただ中にいる真琴が、間宮千昭(まみや ちあき)、津田功介(つだ こうすけ)という2人の同級生の男の子と常に行動を共にしているのも象徴的。恋愛以前の友情が彼らを結びつけていたが、物語が進むごとに、それぞれの胸に秘めた思いが表に出てきて、みんな一緒ではいられなくなっていく。ここでも、一過性であるがゆえの青春の美しさが描かれていた。
特筆したいのは、何度も画面に大きく描かれる、まぶしい青空だ。真琴はとにかく明るくて元気がよく、走ったりジャンプしたり自転車で疾走したりというアクティブな姿が強く印象に残る女の子で、青空が本当によく似合う。この抜けるような爽やかな画面作りは、細田監督の持ち味の一つ。千昭、巧介と共に興じる放課後の野球シーンを筆頭に、青空を背景にしたシーンから立ち上がってくる青春感は爽やか過ぎて、どこか切なくて、見るたびにクラクラさせられる。
また、細田監督は、当時16歳で登場人物たちと年齢の近い仲里依紗を、真琴役に抜てき。ナチュラルな声の演技が、真琴という女の子の青春感をより増していた。仲里依紗はその後、’10年公開の実写映画「時をかける少女」でも、ヒロインを演じることに。こちらは芳山和子の娘という設定で、’10年から70年代へとタイムリープしていく。
細田監督にとっての「時をかける少女」は、アニメファンだけでなく、一般の映画ファンにもその名前を浸透させた出世作となった。青春という限定的な時期を描いた本作以降は、家族をテーマにした作品へと大きくかじを切っていく。映画・チャンネルNECOではそのうちの一つである近作「未来のミライ('18)」も放送。4歳の男の子・くんちゃんと、未来からやって来た年上の妹・ミライの“時を越える旅”を描いた作品で、子どもならではの感性がみずみずしく描写された。
一方、今年4月から「時をかける少女4DX」が全国の劇場で期間限定公開中。体感できる映画として、15年の時を経てよみがえった。さらに今夏には、「時をかける少女」以来となる、10代後半の少女を主人公にしたファンタジー「竜とそばかすの姫」の劇場公開が決定。細田監督が青春を再びテーマとして取り上げた今だからこそ、「時をかける少女」をもう一度、堪能したい。
2021.3.24
ぴあ×チャンネルNECO強力コラボ連載第123弾!!
韓国製ラブストーリーの金字塔が、長くトップに君臨していた理由。
第92回アカデミー賞で最多4冠に輝き、日本でもメガヒットを記録した「パラサイト 半地下の家族」。その登場まで長らく、日本における韓国映画の歴代興行収入No.1の座をキープし続けていたのが、ラブストーリーの金字塔「私の頭の中の消しゴム」だ。若年性アルツハイマー病に侵され、“頭の中に消しゴムがある”ヒロインと、彼女を支える夫の愛を見つめた本作はなぜそれほど、日本の観客の心をつかんだのか?
天真らんまんな社長令嬢のスジンと、己の腕だけを頼りに孤独に生きてきたチョルス。育ってきた環境も結婚観も対照的な2人が運命的に出会い、結ばれてゆく。「恋愛ドラマ大国」の真骨頂とばかりに、序盤は2人が恋におちる過程がロマンチックに進行。チョルスをケチな置き引き犯と勘違いした、最悪な第一印象からの胸ときめく再会、ひったくり犯を飄々(ひょうひょう)と懲らしめる彼の無口なヒーローぶりや斬新なドライブなど、引かれ合う男女の姿を「これでもか!」というほど堪能させてくれる。そして、その甘く情熱的な時間がまぶしければまぶしいほど、後半の悲劇とのコントラストが際立つのだ。
王道的な前半の展開をテンポよく自然に、せりふに頼らずに魅せるイ・ジェハン監督の手腕もさることながら、やはり絵になる主演2人がいればこそ。ワイルドな色気を放つチョン・ウソンにもほれぼれするが、「メロドラマの女王」の称号を欲しいままにするソン・イェジンの素晴らしさたるや! 話題の「愛の不時着」では成熟した大人の魅力を振りまく彼女だが、今作の撮影時は20代前半。“国民の初恋”と呼ばれていた少女の面影をほんのり残す、当時の彼女のアルバムをめくるような楽しさも、今作の醍醐味(だいごみ)だろう。黒目がちの潤んだ瞳やあどけない笑顔、恋の喜びから、記憶を失う=心の死に近づく痛み、最愛の人を苦しめてしまうことへの悲しみまで、豊かな表情と振り幅の広い演技でくぎ付けにする。中でも注目してほしいのが、彼女の“舌打ち”だ。韓国では日常的に見かけるこの行為。やりようによっては不快なはずが、彼女の「チッ」はキュートこの上ないのだから。
とここまで、さも正統派のザ・韓流純愛劇のように語ってきたものの、ご存じの方もいると思うが、今作は日本のドラマ「Pure Soul 〜君が僕を忘れても〜」を原作に持つ。ゆえに財閥も南北問題も登場しない、どこの国を舞台にしても成立する物語だ。その普遍性に加え、今作の特別感を高めているのは、スジンがチョルスに説く“赦(ゆる)し”の尊さにあるだろう。赦しは、心の部屋を一つ空けること――。そう、天使のごときピュアな魂を宿すスジンだからこそ、クライマックスには、天国と見紛う美しいシーンが待ち受けている。
2021.2.24
ぴあ×チャンネルNECO強力コラボ連載第122弾!!
人間の内面を深く見つめてきた、漣さんらしい人間観が表れた作品
俳優・大杉漣さんが’18年2月21日に天国に旅立ってから早3年が経つ。’14年のクランクインから6年かけて製作された出演映画「モルエラニの霧の中」が東京・岩波ホールで公開されたばかりだけに全く持って実感が湧かないが、一方で田口トモロヲ、松重豊、光石研、遠藤憲一と共演した人気TVシリーズ第3弾「バイプレーヤーズ 名脇役の森の100日間」(テレ東系、毎金曜・深夜0時12分放送)を見ると当然ながらそこに漣さんの姿はなく、現実を突きつけられる。そして3月の映画・チャンネルNECOでは映画「教誨(かい)師」が放送される。ご存知、漣さんの初プロデュース作にして、最後となった主演映画である。
本作を見ると、漣さんが常に貪欲に、新たな挑戦に情熱を傾けていたことが良く分かるだろう。タイトルの“教誨師”とは、受刑者の教育と精神的救済を行う者を指し、本作の場合は6人の死刑囚と向き合う。それだけで、世界的に死刑制度が見直されている中、執行を続けている日本社会に問題を突きつける野心作であることが感じ取れるだろう。しかも展開されるのは、全編ほぼ教誨室という密室で行われる会話劇。そこで繰り広げられる、漣さん演じる教誨師・佐伯VS.一癖も二癖もある死刑囚たちとのスリリングな心理戦は、エンタメ的な醍醐味(だいごみ)を味わえるだけでなく、われわれを思考の迷路へと導いていく。
満足な教育も受けられず、知らぬ間に罪を着せられてしまったホームレス。面会に来ない子どもを思う男性。いざ死を突きつけられ、狼狽(ろうばい)する凶悪犯たち。そして佐伯自身のワケ有りな過去も明かされていく。誰しも人は過ちは犯すものであり、簡単に正と悪とに分けられない––—。そんな人間の多面性を映し出しながら、「果たして人が人を裁けるのか?」という究極の問いをわれわれに投げ掛けてくるのだ。漣さんはヤクザから気のいいお父さんまでさまざまなキャラクターを演じ、”300の顔を持つ男”と称されたが、俳優業を通して人間の内面を深く見つめてきた漣さんらしい人間観が表れた作品とも言えるだろう。
監督は、映画宣伝業を兼業しながら脚本・監督として活躍している佐向大。佐向監督は本作のテーマともつながる、死刑執行を支える刑務官の苦悩を描いた映画「休暇」(門井肇監督/’08年)の脚本を手掛けている。漣さんが同作に刑務官役で出演していたことから交流を持ち、佐向監督と「一緒に映画を作ろう」という流れになったらしい。筆者が’12年にwebサイト「シネマトゥデイ」で漣さんを取材した時、「日本映画が活況を呈す中でクリエイティブな部分は果たしてそうなの?」という疑問を示し、さらに「若い人たちとコラボレーションしたい」という夢を語っていた。その願望をかなえてくれる相手として、才能を見込んだのが佐向監督だったのだろう。漣さんはプロデュースを買って出ただけでなく、佐向監督を自身の事務所に招き入れた。ほか、死刑囚の1人・鈴木役の古舘寛治も漣さんと同じ事務所の仲間。もしかしたらこのメンバーで第2弾、第3弾の映画の企画に花を咲かせていたのかもしれない。
ちなみに、’12年の同じインタビューで年齢を重ねてきての心境の変化を問うと、「ガツガツせず、今やっていることをやり続けていれば何かに結びつくと思うようになりましたね」と語り、続けて「そしていま僕は、いい俳優になりたいと思ってます」と清々しいくらいの表情で話していた。本作でベテラン烏丸せつこから、盟友・光石研、古舘、そして本作が映画初出演で毎日映画コンクール新人賞を受賞することになる劇団「柿喰う客」の玉置玲央に、佐向監督のフツーの友人・小川登と、バラエティーに富む共演者の個性を引き出しつつ、ミステリアスな佐伯の存在を際立たせていくという漣さんの大黒柱としての力強さたるや。筆者は改めていい俳優だなと実感したのだが…。自分が思う「いい俳優」に近づけましたでしょうか? 漣さん!
2021.1.25
ぴあ×チャンネルNECO強力コラボ連載第121弾!!
名監督・丹野雄二と新人時代の西恵子がタッグ結成! エロと純情が共存する隠れた逸品。
「世界中の映画を全て見たい!」。映画好きなら、誰でも一度は胸に描く夢ではないだろうか。気持ちはよく分かる。僕も中学1年生の時に同じことを考えついてワクワクし、さっそくキネマ旬報の決算記事を見ながら計算してみたことがあるからだ。にっかつロマンポルノなど成人指定作の存在は無視し(中学生ですから)、洋画もヨーロッパの文芸物など、大きな街の映画館にしか来なさそうなのは気付かない振りをしながら勘定した。それだけ都合のよい設定で絞っても、確か200本以上はあったのだった。年に200本以上。新作だけならまだしも、それを何十年分もさかのぼらなければいけない。その夜のうちに諦めた。僕の人生史上、夢から挫折に至る期間の最短記録である。
それで良かったのかな、と今にしてみると思う。もしも公開本数が手の届く量だったら、旧作は名作、ヒット作を確実に見ておくのを最優先にして、そうでないものはどんどん後回しにするノルマ消化の姿勢が今よりずっとキツくなっていただろう。ただでさえ旧作に触れる場合は、世の評価を頼りにせざるを得ない面があるからだ。しかし映画も人との出会いと同じで、その日その時に見ることができたものを大切にする気持ちは持っておきたい。そうでなければ、埋もれた旧作の山からキラッと光る佳品を見つける喜びも味わえない。
そんな発見を尊ぶ〈旧作出会い系〉の方々(表現不謹慎ですか)に、こっそりお伝えしておきたい話があります。チャンネルNECOで、「BG、ある19才の日記 あげてよかった!」が放送されますよ。ついつい、夜の繁華街で周りに人がいないのを確かめてから、小声で耳打ちしているような気分になる。ところが世の中にはちゃんといるんですよ、「ホントに? 西恵子の、あれ?」と声を潜めながら食いついてくるダンナがさ。…ますます表現がアレですみません。
「BG、ある19才の日記 あげてよかった!」は、'68年に公開された日活作品。週刊女性に連載中だった性体験の投稿記事を基にした企画で、ある若いBG(昔は企業に勤める独身女性をビジネスガールと呼んだ)の、若い彼氏と憧れの男性、どちらに「あげる」かのためらいと決意を描いたストーリー。今回が初のCS放送で、今までソフトになったこともないそうだ。埋もれた旧作の山のうちでもかなり奥から出てきた映画なのである。
タイトルを聞いてすぐ響くアンテナをお持ちなのは、やはり、特撮ファンでしょう。「ウルトラマンA」('72〜'73)の美川のり子隊員役で知られる、西恵子の女優デビュー作だからだ。
世の中には時々、この人がスターの座にのぼりきれなかったのは美人過ぎたからじゃないか…と思わせる女優がいる。西恵子はその典型のような存在で、再放送のたびしつこくウルトラシリーズを見ていた子ども心にも近寄りがたさを感じさせる、硬質な美貌の持ち主だった。「あげてよかった!」の、気楽にはキスも許さない潔癖な表情はまさに美川隊員の原点といえる。ところが、想いが高じ、自分で自分の行動が止められなくなるあたりでは、けなげな初々しさの方が際立つ。揺れる年齢の、両方の魅力がある。
スカウトされて間もなかったというデビュー作で、これだけ存在感を示せているのは相当なことだ。スターの座にのぼりきれなかったと書いたのはいささか失礼な話で、(後述しますが)日本映画界に時間をかけてスターを養成する余裕がなくなった時期に、あいにくデビューが重なってしまった人の1人なのだ。この映画を見て、多くの特撮ファンが西恵子さんの魅力を再確認するのはもう間違いないとして。えッ、このキレイな女優さん誰? と初めてドキドキする人もきっと多いだろう。想像するとこっちまでうれしくなってくる。
さて、では映画自体の出来はどうかと言うと。中途半端な印象を与えるつくりなのは確かだ。エロの興味をそそるタイトルはもろに男性向けなのだが、中身は、初体験を通しての若い女性の自立を思いのほか丁寧に描いている。男性と女性の観客層どっちにターゲットを絞っていたのか、どうもハッキリしない。この迷っている感じが、まさに当時の日活らしいとは言える。
当時の日活撮影所美術課長(のちに制作部長)だった板持隆が日活の歴史をまとめ、'99年に出版した「日活映画 興亡の80年」(日本映画テレビプロデューサー協会)などによると、観客動員の落ち込みによる映画界全体の斜陽化、石原裕次郎ら看板スターの動員力の低下などで、日活の映画部門は'65年、ついに赤字を計上。新体制で合理化をはかるも退潮に歯止めがかからない状態にあった。
一方で、ピンク映画が(家庭に普及したTVの真逆を行き、すみ分けるかたちで)マーケットを拡大。メジャー映画会社も存在を無視できなくなっていた。東映の堅調にあやかって任侠物シリーズを始めたり、東宝のゴジラ・大映のガメラの次を狙って怪獣映画を製作したり(ガッパですね)、企画の試行錯誤期にあった日活にとって、エロの興味を取り入れた現代風俗映画を作ることは、必然に近い成り行きだったのだ。
ただ、そうした長い退却戦の時期に製作された運命の映画であることを、ちゃんと理解した上で見たならば、「〜あげてよかった!」には、なかなかどうしてと感心させてくれる良さがある。
まず、潔癖なヒロインの周囲に、あっけらかんとフリーセックスにいそしむ同僚(太田雅子名義の頃の梶芽衣子だ)、肉体と交換にお小遣いをくれる「おじさま」を探す妹の友達などを配し、エロの要素を濃くすることによって、逆説的に、戦後の日活が得意としてきた青春映画の核が何だったかが浮かび上がってくる。〈自分の青春の権利は自ら主張し、自分の意思で行使する〉そういう若者像に対する、全面的な肯定だ。
監督は、この映画で昇進した丹野雄二。製作本数激減による社内スタッフの飽和解消のため、この時期には藤田繁夫(敏八)、斉藤光正ら多くの新人監督が日活で生まれた。丹野はその1人で、キネマ旬報社の「日本映画人名事典 監督篇」('97)によると、「ギターを持った渡り鳥」シリーズの斎藤武市に付いていた。斎藤の別の映画「助っ人稼業」('61)では共同で脚本も書いている。
日活のドル箱「ギターを持った渡り鳥」シリーズのスタッフだった新人監督、という点がまたミソ。トラブルを片付け、また違う町へと去っていくアキラと、じっと見送るルリ子。あの黄金パターンを思い出してほしい。(ネタバレにならないようにするが)「〜あげてよかった!」はある場面で、なんとそれを男女逆転させるかたちで見せている。ヒロインが結果的に世間体に沿った幸福を拒む姿は、「ギターを持った渡り鳥」シリーズから、女性の自我の解放を描くことが実は多かった初期の日活ロマンポルノまでを精神的に結び付ける、見事な蝶番(ちょうつがい)となっているのだ。
丹野雄二は本作の後、永井豪のあの漫画の映画化「ハレンチ学園」('70)を日活でヒットさせ、独立してプロデューサーに転じてからは、モグタンとおねえさんがさまざまな物事の起源を描く教養アニメ「まんがはじめて物語」('78〜'84)を人気番組に育て…と活躍を続けた。脈絡のない作品歴だな、と僕は今までぼんやり認識していたのだが、今回監督デビュー作の「あげてよかった!」を見て、違う、この人の倫理観は一貫していた、と初めて気付き、心打たれたのだった。
「ハレンチ学園」に通う男子たちは、いつもは女子のスカートめくりに熱心なのだが、ヒゲゴジラたち教師のアナーキーさが一線を越え、女子の裸を性的な対象として扱おうとすると、憤然と校内戦争を起こして女子を守る。破天荒なスラップスティック喜劇のようで、彼らの行動原理だけは筋が通っていた。そこには、「〜あげてよかった!」のヒロインと通じる清潔さがあった。「まんがはじめて物語」も同様。なにしろ「〜あげてよかった!」自体が、バージン喪失といういくらでも下世話になってしまえる題材の中にある純情だけは、キメ細やかな描写によって守り、尊重しようとする〈はじめて物語〉だったと言える。
何度も書くことになってしまうが、「あげてよかった!」は、どんな題材が当たるか何でも試してみるしかない状況から生まれた、エロの興味で釣るのが主眼の企画だ。ところがその悪条件を、新人女優と新人監督のひたむきさが乗り越えている爽やかな瞬間が、この映画にはたびたびある。
ヒロインの性への興味と、男性から生臭い欲求を感じた時の嫌悪、それでも好きな男性が現れた時の心の揺れ…をなんとか視覚化しようとしている意欲的なカットが、いくつもある。特に僕がジーンとなったのは、西恵子と二谷英明(黄金期を知るベテラン俳優がいい重しになっている)が雨上がりの濡れた夜道を、水たまりを避けながら、親密にささやき合いながら歩き、駅のホームで2人が別れ、西を乗せた電車が走り出すまでをム―ドのある音楽のみ、せりふなしで流れるように描くシークエンス。誰にでも、一晩だけだが一生心に残る、青春の記念がある。その密やかな輝きを、自分は、自分たちはこんな形で表現したい!…そういう純粋さがしみじみと伝わってくる。フランス映画のヌーヴェルヴァーグに匹敵するみずみずしさと言っていい。
いろいろ書いてはきたが、この隠れた名シークエンスが数十年ぶりによみがえるだけでも、「〜あげてよかった!」のCS初放送は素晴らしいことなのだ。
2020.12.24
ぴあ×チャンネルNECO強力コラボ連載第120弾!!
古希を迎えた綾小路きみまろが、憧れのミューズに急接近!?
映画・チャンネルNECOで毎月最終月曜日に放送中の「綾小路きみまろTV」。綾小路きみまろが漫談のステージからしばし離れ、ロケやトークに奮闘するバラエティー番組だ。香取慎吾や吉永小百合といった国民的大スターから今をときめく若手芸人まで、多種多様な豪華ゲストを迎えてきた同番組に、満を持してプロスケーターの浅田真央が登場する。
綾小路きみまろと浅田真央。中高年のアイドルと国民的ヒロインとの間にどんな接点があるのかと思いきや、実はきみまろさんは自身の漫談に“真央ちゃんネタ”を取り入れるほどの大ファン。その想いの深さは相当なもので、十数年前、まだ高校生だった彼女と偶然同席した某パーティーで一緒に撮った写真をいつも大事に持ち歩いているほどなのだ。
そんなきみまろさんの70歳の誕生日を祝おうと、番組スタッフが粋なプレゼント! 現在全国ツアー中の「浅田真央サンクスツアー」京都公演を鑑賞し、普段はなかなか立ち入ることのできない舞台裏にまで潜入。さらに終演後には浅田さん本人がサプライズで駆けつけ、「きみまろさんの古希をお祝いしたい」と、まさかの京都デートまで実現してしまう。
最初に向かったのは、浅田さんが「いつか行きたい」と思っていたというおはぎの名店「白 HAKU」。TV番組で紹介されているのを見て以来、ずっと食べてみたかったというおはぎを頬張り、2人そろってとろけるような笑顔を見せる。続いては、老舗の扇子専門店「白竹堂」へ。ここでは、浅田さんが時間をかけて選んだ美しい舞扇子をきみまろさんに自腹でプレゼント。その上さらに、似顔絵が描かれたバースデーケーキやバースデーソングまで贈られたきみまろさんは、ぜいたく過ぎる“冥土の土産”にもはや昇天寸前に…!?
アイスショーの会場で喜々としてツアーグッズを買い込むきみまろさん。初めて見るアイスショーに感極まるきみまろさん。すぐ隣にいる憧れの人と、目を合わせることすらできないきみまろさん――。ステージでの堂々とした立ち居振る舞いからは想像もつかないその姿は、まるで“恋する少年”そのもの。実際にお会いしたことはないものの、綾小路きみまろという人物に対してどこか気難しい印象を抱いていた筆者は、その意外過ぎるほどチャーミングな素顔を知り、好感どころか愛おしさまでこみ上げる始末(いや、本当に)。
収録も終わりに近づいた頃、ようやく緊張がほぐれてきた様子のきみまろさん。最後の対談では、「コロナによる自粛期間中の過ごし方は?」「人生で一番うれしかったことは?」などを語り合い、穏やかでありながらも芯の通った浅田さんの魅力をグイグイと引き出していく。今回の共演に際し、実は浅田さんの方もかなり緊張していたそうで「きみまろさんは舞台上でお客さんに対してズバズバ言われているので、ちょっとドキドキしていましたが、実際に共演してみたら本当に優しい方でした」と告白。「いつかご自宅の古民家を見せてください」とおねだりされると、恋する少年から一転、孫を見るおじいちゃんのような笑顔を見せたきみまろさんだったのでした。
2020.11.24
ぴあ×チャンネルNECO強力コラボ連載第119弾!!
“with YOU”という言葉に込めた、「今もこの先も、あなたと一緒に歩いて行けるように」という想い
ミュージックビデオを見た人が次々と自身の恋愛エピソードをネット投稿するという、前代未聞の現象を巻き起こしている“ベツカノ”こと「別の人の彼女になったよ」のロング・ヒットで、人気に火がついた5人組、wacci。ライブでファンベースを築いてきた地に足が着いたバンドらしく、彼らは追い風の中であえて原点に立ち返ろうと、昨年10月から47都道府県ツアーを敢行していた。しかし、コロナ禍で中断を余儀なくされ、残っていた公演は延期に。
バンドにとってもファンにとっても困難な状況下で、何かできることはないかと考えたwacciは、スタッフの献身的な協力のもと、すぐに動き出した。それが“TOP SONG”、“LOVE SONG”、“ACOUSTIC”、“YELL”、“DRAFT”、“with YOU”とサブタイトルが冠され、7月にスタートした計6公演からなる配信ライブツアー「wacci Streaming Live Tour 2020」だ。
同ツアーのファイナルを飾る“with YOU”が、自身のキャリアで初のZeppワンマンとなるKT Zepp Yokohamaにて開催された。“with YOU”には「今もこの先も、あなたと一緒に歩いて行けるように」という想いが込められているそうで、この日は配信に加えて実際に観客も入れたスペシャルな内容。幸運なファンが(マスク着用&ソーシャル・ディスタンシングで)ライブを生体験した。
ほのぼのトークをたっぷり交えての約2時間、バンドは橋口洋平(Vo/G)が「これからも大事に歌っていこうと思います」と感慨深げに語った「別の人の彼女になったよ」をはじめ、「東京」「ケラケラ」「大丈夫」など全11曲をパフォーマンス。自身の音楽を、歌を、言葉を真摯(しんし)に、誠実に届けようとする愚直なまでの5人のステージは、「with YOU」をそのまま体現しているかのようで、wacciというバンドの真価を見た思いがした。それはきっと、大声を上げることができずに精一杯、熱い拍手を送っていた観客も同じだったに違いない。
「日常を普通に生きて感じるうれしさや悲しさを歌って、明日をみんなと一緒に歩いていけるような存在でありたいんです」。これは47都道府県ツアー中にインタビューした際、橋口が発した一言だ。彼らのような存在がコロナ禍の現在こそ必要とされる理由。それを端的に表している言葉だなと、改めて認識させられた。私たちのすぐ側で伴走し、人生に彩りを与えてくれるバンド。それこそがwacciなのだと思う。
このレアなライブの模様を、チャンネルNECOが約1時間に凝縮してオンエアする。ありふれた人々のありふれた日常に寄り添うバンド、wacciの魅力が詰まった番組だ。
2020.10.26
ぴあ×チャンネルNECO強力コラボ連載第118弾!!
旅行前に見ておくべき!? 決して訪れてはいけない、世にも恐ろしい村
田舎の村というと、どんなイメージを持つだろうか? 大自然に囲まれ、のほほんとした人々が住む穏やかな場所。多くの村はその通りだろう。だが、中には足を踏み入れてはいけない、恐ろしい村があるという…。今は行楽の秋。田舎へ旅行に行く方も多いことだろう。でも、気を付けてほしい。恐ろしい村も一見すると普通の村。入り口に「この村、危険」などとは書かれていない。例えばこんな恐ろしい村を描いた映画がある…。
日本映画の長い歴史の中では封印されてきた映画がいくつかあるが、この2本の映画も近年まで見ることができなかった封印映画である。まず、「女囚さそり」シリーズ(’72〜’73)や「誘拐報道」(’82)などで知られる伊藤俊也監督が、「エクソシスト」(‘73)や「オーメン」(‘76)などの大ヒットを受けて作られた、日本オカルト映画創世記を代表する「犬神の悪霊(たたり)」(’77)。そして「八つ墓村」の元ネタになったと言われる事件を映画化した「丑三つの村」(’83)。この2本は1980年代初期のビデオ黎明(れいめい)期にソフト化されたものの、後に廃盤となり、2000年代後半にDVD化されるまで見られなかった禁断の作品。中でも「犬神の悪霊」はTV初放送となるのでお見逃しなく!
「犬神の悪霊」では、ウラン鉱調査のために小さな村を訪れた加納(大和田伸也)たちが小道にあったほこらを壊してしまいそのまま逃げてしまう。やがて加納の同僚たちは次々と怪死を遂げ、加納の妻となった麗子(泉じゅん)も犬神に取りつかれてしまう…。数十匹の犬に食い殺される同僚の惨殺シーンもスゴイが、村の風習という拷問まがいのつき物落とし(悪魔はらい)を行い、元凶とされる家に汚物をまくなど、奇怪なシーンの嵐で圧倒される。ホラーというと暗く静かに展開していくイメージがあるが、本作の特徴は登場人物がパワフルでテンションが高いところにある。中でも元凶とされた一家の父親が、地中に埋めた犬の首を切り落として村民に呪いをかけるシーンは圧巻だ。しかも撮影で実際に犬の首を切ったとの発言があり、公開当時に動物愛護団体からクレームが付くなどの騒ぎとなった(これは後に話題作りのための仕掛けだったことが判明)。そしてあまりに衝撃的過ぎていまだに物議を醸すラストなど、まさに伝説の1本。
「丑三つの村」は「八つ墓村」で事件の発端となる村人30人殺しの元ネタになった作品で、1938年に起こった津山事件を田中登監督が完全映画化。村一番の秀才で女にもモテる継男(古尾谷雅人)は、兵隊となってお国のために戦うのが男の本分だと思っている。ところが、病気で徴兵検査に落ちたことで女たちは病気を恐れて彼を避けるようになり、村人からも虐げられるようになってしまう。精神的に追い詰められた継男は村人への復讐(ふくしゅう)を始める…。本作も公開時に差別や虐待、性描写、惨殺シーンなどで「全編において非道である」と判断されR18の成人映画指定となったいわくつきの作品(今回は一部修正してR15)。やはり圧巻は猟銃と刀で女性も子どもも容赦なく殺していく、15分にも及ぶ30人の殺害シーン。追い詰められた上での大量殺人だが、手当たり次第に殺すのではなく相手を冷静に選び、理性を保ったまま凶行に及んでいるところが逆に恐ろしい。
「丑三つの村」の中に、これら恐ろしい村の在り方を象徴する言葉が出てくる。「村が平和なのは、よそ者を入れなかったからだ」。これには単によそ者を排除するというだけではなく、村人におきてを強いていることを示している。この言葉を発した村の権力者は配下の若者たちに村中を見回らせ、掟に従わない者を排除していく。これを昔の村の話と思ってはいけない。この図式はまるで現代そのもの。恐ろしいのは、行動している当事者たちが「自分たちは正しい」と信じているところ。
この2本に共通するのは悪霊よりも怖いのは人間であるということだろう。一人一人では善人でも、集団になると人はいくらでも凶暴になれるのだ。残酷シーン以外にも女優陣が必要以上に全裸になったりと、エロもグロも満載で、現在のコンプライアンスでは絶対に描けない、まさにあの時代だからこそ作ることのできた映画でもある。
そして怖い村があるのは日本だけではない。お隣、韓国にも怖い村の映画があった。田舎の小さな村で起こる不可解な殺人事件を描き、観客動員687万人を記録した大ヒット作がナ・ホンジン監督の「哭声/コクソン」(’16)。村人が家族を惨殺する事件が、何の前触れもなく連続して発生する。やる気のない警官ジョングも仕方なく捜査を始めるが謎は深まるばかりで、村人は山奥に1人で住むよそ者のせいだと決め付けるが…。村という閉鎖空間で日常が崩れていく不条理な恐怖。ミステリー、ホラー、コメディー、ゾンビとさまざまな要素を併せ持つシュールな異色作で、謎のよそ者を演じた國村隼の怪演も見ものだ。
人々がひた隠しにしていた村の秘密の恐怖を描き、こちらも観客動員340万人の大ヒットとなったのが、カン・ウソク監督の「黒く濁る村」(’10)。父親の葬儀で20年ぶりに村に帰ってきたヘグクが父の死の真相を調べ始める。だが父の死を探ることは、村の隠された秘密を暴くことだった…。ヘグクは村出身なのによそ者として扱われ、嫌がらせを受けるだけにとどまらず殺されかける。真相を知る村長がヘグクを亡き者にしようと手下を送り込むが、その手下3人がコミカルな見かけとは裏腹のエグい殺害方法を駆使し、見るものを震え上がらせる。そして全てがひっくり返るラスト1分は見逃し厳禁だ。韓国では一般的な“喜怒哀楽”という感情以外に“恨(はん)”があると言われている。“恨”とは晴らす“怨(うら)み”ではなく、自分で解くしかない“恨み”のことで、この2本の韓国映画から、その意味が見えてくる。
日韓の4本に出てくる村はどれも閉鎖的でよそ者を拒み、独自の掟の中で生きている。もしあなたがそんな村を訪れたとしても、決して村の均衡を乱してはいけない! 無事に旅行から帰ってくるためにも、この4本の映画は見ておきたい…。
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